もう何年も前のことです。
とあるカルチャースクールで「小中学生・夏休みのポスター教室」を開講したことがありました。
普段の教室ではなく、そのときかぎりの生徒相手に夏休みの宿題のお手伝いをする教室です。ポスターにしてもいろんな題材がありますし、その他に風景画などみんな持参するテーマもバラバラ。約15~20名を3時間のあいだにまとめて見る。まだ絵画講師デビューして間もないぼくにとって、やりがいある挑戦でした。
しかし普段の絵画教室と大きく違うところがあります。
彼らはみんながみんな絵が好きな子たちじゃない、ということ。
いわば夏休みの宿題の一個を「終わらせるため」に部活や塾の合間を縫って放り込まれている。言い方悪いですが、けっして良いコンディションの生徒たちではない。
これは、ぼくがアーティスト活動を始めて2年経たないくらいの、未熟なときにおこった出来事です。
ある中学生の女の子との会話のなかで「レタリング」という言葉が出てきました。
「学校で教わったけど、いまいちよくわからない」とのこと。
これ、文字をデザインして本のタイトル文字やポスターに使用する形に落とし込むことです。ざっくり言うと。
その子はスポーツひとすじの女の子で普段、絵には興味のない子。そんな彼女が授業の用語として聞いてきたとのことです。
ぼくはぼくで、美術をしっかり学問として教わってきた人間ではないので、あらゆることを感覚的にとらえてやってきてましたので、「なんとなく」で説明してはいけないと思い、スマホを開きました。
ぼくが「レタリング」をしまくってポスターを描いてた学生時代は今は昔。専門用語って解釈とか変化していくものだから、アップデートしておかないとと思ったのです。
ぼくは教育用語として間違いのない言葉を選んで彼女に説明しました。
ところがこれが後からクレームに。
その子の母親から後日、カルチャースクールに電話があり、
「子供から聞きましたが、絵の先生、質問されて隠れてスマホで調べていたそうですね。その人、大丈夫なんですか!? どこの何先生!?」
このクレームにはもうひとつ、ぼくの未熟な点が含まれています。このお母さんのお怒りの大きな原因は、子供さんの絵の出来でした。
受講中ぼくは、この中学生のスポーツ少女が何を求めているかを探ろうとしました。いろんな対話をしました。
彼女はテニス部。絵を描くのはそんなに好きじゃない。そしてテニスもそんなに好きじゃない。部活は内申点を上げるため。夏休みのポスター、時間かけて良いもの仕上げたい?いやさっさと終えたい。
彼女にとって重要なのは部活と塾。
「このポスターの絵はクオリティーより早く仕上げるのを優先したい??」
ぼくは質問しました。彼女は「うん」と答えました。
・・・そして、中学生にしてはとても粗雑な早仕上げのポスターが時間内に完成。とても、良い出来栄えとは言えません。
たぶんおうちでの会話はこんな感じだったんではないでしょうか。
母「宿題のポスター、できたん?」
子「うん」
母「見せて。・・・ん? なにこれ?」
子「・・・」
母「これで、その先生、良いって言うたん??」
子「うん」
母「どんな先生なん!!」
子「・・・」
母「これ、小学生の絵やんか。どんな先生やったん!!」
子「・・・なんか、スマホ見てた」
母「え?」
子「質問したら、スマホで調べて答えてた」
母「詐欺師がああああああ!!!」
まあ、お母さんに詰められてスマホの一件を答えたのかなあと想像します(笑)
どちらにしろ、言い逃れできない悪い印象を与えてしまったことは事実。
ぼくは「生徒の気持ちに寄り添う」を一番にしたいと、常日頃ずっと思ってやってきました。今でもそう思います。相手の望みあってのことだと。でもそれは、そもそも「絵が好きな」生徒に対してだけ通用することです。あとでめちゃくちゃそう思いました。
この中学生の子には、絵を通して「きちんと丁寧に物事にあたる」ということを人生のわずかな時間の中でだけでも教えて帰すべきだったと反省しています。
ただ、今よりずっと若いそのときのHachi先生は、その子のためにベストな道を探そうと必死だったのは本当です。これからもいっぱい失敗してくんだろうなあ・・・などとため息つく今日この頃です。
自分を許せたり、癒せるようにしてくれたもの。それがぼくにとっては「アート」というものでした。
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