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カイロとチューインガム。

知り合いの方と話していて気付くことがありました。

一月の寒い日の朝にその人は寒さ対策に、背中に「貼るカイロ」を貼りつけて家を出て来た。ぼくはずっと「寒い寒い」と口にしながら身をちぢ込ませている。

そんな朝です。

 

「八田さんも、身体にカイロ貼り付けたらいいのに。あったかいですよ」

 

そう言われて初めて気付いたんですが、ぼくはとにかくカイロを使わない。

寒い時期のイベントなどで似顔絵を描くために出動している時などは、

「よかったらひとつどうぞ」

と言われて頂戴することがあり、その際は相手の好意の手前、使うのですが、確かに暖がとれる冬の必需品だとは分かっているんですが、本当は極力使いたくはない。

 

ぼくはカイロが苦手なのだ。

 

カイロが苦手。

 

それってどういうことなんだと訝しく思う人が大半だとは思います💦

 

普段はその理由を掘り下げることもなかったんですが、ぼくもなぜなのかとこの日は考えてみることにしました。

その理由は、

 

カイロというものがぼくをとても悲しくさせるからだと分かった。

 

パッケージを開ける。シャカシャカ振る。少しずつ暖かくなっていくカイロ。けれど10時間かそれくらいで、その温度が消えてゆく。まるで何もなかったかのように。

そう、本当に、暖かかったあの時間がまるで嘘のように、冷めきったザラザラの小袋の姿に帰る。ぼくはそれが本当に悲しくなるのんです。

 

ぼくはカイロが最高の温度に達した時点で、「いずれ冷めてゆく」その時のことに思いを馳せずにはいられない。

まるで一夜を共にした女性が翌朝、ベッドの隣りで「あなた誰だっけ」と目で訴えるような温度のないカイロ。

草原の上を2人してはしゃぎまわっていた日々が、ざっくりとコラージュのように切りとられたように色をなくした態度。

 

あなた、誰?

どちら様ですか?

何か?

 

共に過ごした記憶が完全に歴史から消え去ってゆくような、そんな寂しさにぼくは震える。

当たり前のように続いているはずの書物のページが、唐突にちぎり取られたような、そんな喪失感にぼくは凍える。

 

それは、必ずぼくに訪れるのだ。

 

カイロの封を開ける以前の何倍もの震えと寒さを味わうことになる。ならば最初から使わない方が良い。ぼくはカイロに対して、そんなふうに思わずにいられない。

 

湯たんぽはあかんのか。

いや、湯たんぽはええねん。

冷めたところで、同じ形状の物体に、湯入れたらええだけやからな。

また元通りのおれたちに戻ることができる。

電気アンカーかて、コンセント差してさえおったら、ぬくいやん。

朝目覚めてもハッキリとおれの名前を覚えてくれとる。

だから、ガムもいややねん。

味無くなるやん。

形や歯ごたえはそのままやのに、甘さだけが消える。それならいっそのこと、姿存在そのものが消えてくれるほうが、ええやん。って思うてまう。食うてなくなってまうもんは、ええねん。ガムのあの感じは嫌やな。まるで親しかったはずの人間が悪魔か宇宙人に乗っ取られてしもたか思うほどの冷血漢に変貌する。

姿かたちだけあの頃のまま、中身が別人になっていくような、あの感じがたまらん。泣きそうになる。

また使うことがあった場合、冷めたカイロをすぐ捨てることすらぼくはままならないのだ。しばらくポケットにしまったままにしてしまう。本当にそれは、涙がこぼれそう。

 

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