「サラリーマンをやめて、アーティストに転身した理由は?」
と聞かれると頭に浮かぶ理由はいくつかあります。
子どものころから絵が好きだった、とか、
絵を教えて子供たちに好きなものを増やすことで世界は少しでも平和になる、とか。
・・・まだまだ挙げられます。でも、それらのほとんどは後から生まれて育っていった動機のようなものです。
ひとつ、方向転換するスイッチとなった出来事は
やっぱりたったひとつしかない。
2008年だったと思います。まったく絵を描くことをしていなかった時期でした。仕事命みたいな30代の働き盛りでした。稼ぎも良かったし、ばりばりやってました。
あるとき、当時お付き合いしていた彼女と1泊2日の温泉旅行へでかけました。販売店の営業マンだったぼくは疲弊しきっていて、休日といえばアクティブなことより癒しの時間に使いたかった。
当時勤めていた会社は、超絶ブラック企業でした(笑)
常にザ・昭和の剛腕社長の怒号が飛ぶ。恫喝、パワハラ、陰湿な圧、社長の息子からの横槍・・・
ストレスで男性としての機能が停止するほどでした。
そういうわけで、癒しの温泉旅行。一まわりくらい年下の彼女はまだ二十歳そこそこで、いろいろ街なかで遊びたい盛りだったと思います。
温泉旅行なんていうオッサンの癒しみたいなデートにも快く付き合ってくれる、ほんとに良い女性でした。
さっき販売店の営業マンって言いましたよね。
1泊2日の旅行へ行こうと思ったら、定休日の利用では無理で、交代で取る公休日を使わないといけないわけです。
で、その日は会社は稼働している。旅先の道中も、宿に到着してもぼくの携帯にはがんがん仕事の電話がかかってくる。
店の子も社長に言われてかけさせられてるのも分かるから、仕方なく電話に出る。
「そのことは○○さんのノートに書いてるよ」「それは来週伺うことになってるから大丈夫」
・・・今処理しなくてもいい程度の用件ばかりです。絶対しわ寄せにならないように仕事は休みに向けて片付けてますから当然段取りはできてるんですけどね。それでも些細な用件でいくつも電話が鳴る。出る。それの繰り返し。
ていうか電話に出なかったら間違いなく社長自らかけてきて怒鳴り散らすだろうこともわかってましたから。
「なんで電話にでねえんだてめえ!」
って。今思うと、ぼくが休みをとってること分かってて、やらせてたんだろうなと思います。その当時は「なんで社長は公休届けをちゃんと把握してないんだろう」くらいにしか思ってませんでしたが。よくよく考えてみますと、隅々まで神経質な社長が把握してないわけがない。
で、彼女は
「容赦ないなあ、おたくの会社は(笑)」
なんて軽く言いながら、ぼくが電話に出てる間に旅館の自販機で買ってきた缶ビールをすうっとぼくに渡してくれる。ほんとに優しいひとでした。
旅の翌朝、ぼくたちは朝の散歩に出かける前にコーヒー飲みながら部屋でゆったりしてました。この日は会社も定休日でしたから、とても静かな一日の始まりです。
で、何の気なしにぼくはテーブルにあったメモ帳とボールペンを手に取りました。
「絵、描いてあげる」
なんとなく、この優しいひとを描きたくなったんです。や、まったく絵なんてきちんと描いてない時期だったから、自分でもこの時の気持ちの仕組みははっきり理解できないです。でもなにかしてあげたい、っていう想いに駆られたのだと思います。
はじめはサラサラっと描くつもりだったけれど、いったん描きだすと無心になっていく。
そんな時、彼女は自分の携帯を手にとり、いたずらっぽくそれをぼくに向けてパシャリ。写メを撮りました。
「おいおい、動くなって(笑)」
「へへへ~撮ったどぉ」
なんてやり取りをしつつ絵を描き終え、それを彼女に見せました。本当に久しぶりに、真面目に描いた絵でした。要領もずいぶん前に置き忘れてきた描写の感覚。全盛期の腕前には到底及ばない絵。思い通りに描けなかったけれど、何よりも心の底から描く事を楽しんだ。
そして彼女は感心したように、自分の肖像画(紙切れとボールペンで描いた、決して美術史の1ページに記されることのない絵)を眺めているうちに、じわっと笑顔が広がっていきました。まるで大切な宝石箱に新しい宝石をしまったあとみたいに眺めていました。
「絵うまいんだね。真剣な顔して描いてるから、どんな絵かと思ったよ」
そういって彼女はぼくに携帯の画面を向けてきました。そこには、さっき彼女が撮った写メ。つまり「彼女を見ながら絵を描いているぼく」の姿でした。
ぼくは一瞬あっけに取られたようにその写メを見つめました。
・・・え? これ、俺の顔?
正直、自分がこんな良い表情ができるなんて思ってもみなかったからです。そこにはとても屈託なく、一点の曇りもないまなざしをした一人の男の顔がありました。笑顔でこそないですが、そこには張り詰めたものはなく、穏やかなものに満ちている。
出勤前の朝の鏡、帰社して入ったトイレの鏡、社員旅行の写真・・・ぼくはいつもそこにある自分の顔を見て思ったのは、
「ああ、大人になっていくってこういう顔になることか」
そう信じていました。いや違う、そうじゃなかった。ぼくは生きてなかった。
自分の引っ込み思案やだらしない性格に嫌気がさし、ぼくは営業マンとしてトップセールスマンになるまでは!と意気込んで入社しました。その時に決意していたことは
「嫌になったからといって退社しない。退社するときは自分の望む未来を選ぶとき」
でした。
つまり、どうしても「これをやりたい」という何かを手にするときが退社するときであると決めていました。だからどれだけ恫喝やブラックの洗礼を浴びても、仕事を続けていました。
ぼくがこの会社を辞めるのは、そこからさらに3年ほどかかります。
未来がどうなるのか、これから自分は何をどうしていくか、そんな大それた展望はまだ芽生えてませんでしたが、「俺は、信じて生きてけるものがあるかもしれない」とうっすら思いました。本当に霧の向こうからさす太陽の光ようなレベルのものでした。
しかし、確かに光はその先にあると確信できました。
そして、本格的に絵を描いてみようとこの日思ったのです。
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