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アートとは、意図せず血のまじったもの。

アートは「時代のうつし鏡」だとか「歴史の文脈に組み込まれてこそ」といった大層な風呂敷に包みこもうとする人の恰好の餌食にされがちです。

もちろんそういった文脈で語れることは大事で、芸術学というような学問として学ばなければ、己のオリジナルにたどり着けないことは確かです。
しかし私にとって作品制作というもの、アートという存在は幼い頃から何も変わっていないように思えます。

「クレヨンでママのおかおを描く」とでも言いましょうか。

この例えが完全に、「私のアート」を言い表しているわけではないですが少なくとも「世相を斬る」といったこっぱずかしい言い回しよりは近いと感じます。要は、作品制作とは、湧き出るものであるべきだと考えます。

かつてチバユウスケさんがミッシェルガンエレファント時代に、ファンの方から「ラブソングも書いてほしい」と言われたそうです。一見激しくて硬派なイメージを持つ彼の歌です。しかしチバさんは「全部の歌にそういう要素が入ってんだけどなあ」と答えていたのを思い出します。

「愛している」という言葉は使っていなくても、作者の心の中にその時隠し持っている恋心のようなものがあれば、自然とにじんでくる。怒りも然り、悲しみも然り。
芸術家のタイプにもよりますが、一から十まで言葉を書き連ねるまでもなく、あらゆるものに対する感情や姿勢は作った物にしみ込んでしまうものです。世の中に対する思いであれ。

年輩のアート愛好家はしばしば「もっと政治や世の中をアートで語りなさい」とアーティストに向けて言います。海外や芸術史にかぶれておっしゃっているのでしょうが、そもそも目も髪も同じ色をしたちびの民族で生まれ育ち、西欧の人々と同じ視点で物事を捉えるなど不可能、というよりは無理があります。無駄な背伸びは恥ずかしいことです。

これからも誰が何と言おうと私は、何かを裁いたり、何かを枠におさめるためではなく、湧いて出たものを描きます。それを奪われたら、アートはなんのためにあるのだろうか。

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