いわゆる「スピなお話」にちょっと近いかもしれません。
念がこもる、という言葉がありますよね。
人の手で作られた芸術作品はやはり、なにかしら目に見えないオーラのようなものをまといます。
あらためてそのことを思い知ったお話です。
先日、ある知人女性からあるものを預かりました。それは一枚の絵。
「はっちゃん、処分に困ってる絵があって・・・」
処分に困っている絵というのは、その方の肖像画。かつてその人に想いを寄せる男性が、描いて贈った油絵だそうです。
サイズはなんと20号。
70センチ×60センチのキャンバスが立派な額縁に入っており、簡単には処分できず、壁に掛けられることもないまま20数年手元にありました。ぼくは、
「そのサイズの額縁、使えそうなんで下さい! 絵も見てみたいし」
と名乗りを上げて、爆弾処理班よろしく受け取ることに。明るい屋外で受け取る際にちらっとその絵を見た時はまだ「わあ、(絵のモデル)若いっすねえ」などと軽口をたたいておりました。
しかし、アトリエへ持ち込んでまじまじと見ると、なんとも恐ろしい絵だと気づきました。頭痛と肩こりがぼくを襲い、室内を重たい空気が包みだす。本当です。
大変興味を持たれた方もおられるでしょうが、絵の画像は載せません。無防備な状態でブログを読んでおられる方にお見せできるものではないですから。
どういう絵なんだ、って気になるかと思います。細かい視覚的な描写は控えますが、発散されるもの、感じ取れるものにぞわぞわしてしまう。・・・としか説明できません。
例えるなら、廃墟や無人の家に足を踏み入れた時に感じる、嫌な「目に見えない何か」です。
ぼくはすぐに解体作業に取り掛かりました。思い額縁からキャンバスを取り出し、木枠に打ち付けられた釘を一つずつ抜き取り、絵が描かれた布をはがす作業。
何となく、ですが確信に近いある推測が頭に浮かびました。
アトリエには絵画教室の生徒の絵、ぼくの切り絵、といったポジティブなパワーを持ったアートが多くあります。それらが守ってくれなかったら、ぼくは釘抜きの作業で手を怪我しただろう、という推測です。
つまり、この供養のような作業そのものが、ぼくに与えられた、ぼくに可能な役割だということです。
すっかりこの絵を処分してしまうと、すぐにアトリエに明るくて軽い空気が戻り、ぼくの右肩の痛みもおさまりました。
芸術家は、見えない力を発揮しもしますが、その力を借りて、消去すべきものを取り除く使命もあるようです。
念のために言っておきますが、こういったご依頼は受け付けておりません(笑)
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