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今を生きるアーティストから見た「多様性の時代ごっこ」。

「これ一本で食べてるんですか?」

といつも聞かれる。アーティストとして活動して以来12年、やや頻度は減ったものの、個展、ライブ、あらゆる場面で多くされる質問のひとつ。

思うにこの世は、特に日本は「多様性の進んだ時代」など迎えていない。「多様性ありまっせアピール」はやっている。

個展会場などで、ぼくの作品や制作活動を指して「趣味でされてるんですか」といった質問はまだいい。

何も言ってないうちから「アートで食べるのってむずかしいですよね」と、まるでそうであってほしいかのように口にする人がいる。あるいは、みんながそう言っているから、という理由で口にしているだけかもしれない。たいてい会話の脈絡を越えてぼそりと、自分に言い聞かすように、相手に呪いをかける呪文でもあるかのように言う。
ぼくは思わず「お前の顔だったら結婚するのってむずかしいですよね」とその人に言いそうになる。これは悪口ではなく、そういわれることと、与える衝撃度の等しい発言だということだ。

じゃあ尋ねる。アートで食べていくことの、何がどうむずかしいのか、しっかり言語化して説明してみてほしい。たぶん、本当になんとなく言ってるだけだと思う。企業に勤めれば毎月決まったお給金もらえる、というあたかも「企業」を神様はたまた偶像化されたクラウドとしてインプットしている、何もかもをアイコンとして捉えているだけで、なんら複雑な経験則や考察はないと思う。インプットしたことすら思い出せないほどのサブリミナルな、知識のダウンロード。罪ではないが、楽してるなと思う。ずうっと、昔の代から刷り込まれてきた「当たり前のこと」の一つとしてカウントしているだけなのだろう。テンプレート学習のひとつ。「京都人はいじわる」「アメリカ人は全員美男美女」「元ヤンキーの教師は人間味ある」といったレゴブロックさながらのおおまかなピースのような刷り込み。

ちなみに「アーティスト=貧乏」の代名詞としてゴッホを思い浮かべる人たちが数多くいるが、彼だって、弟テオや周囲にほどこしをさせるような「魅惑」とも言える才能を発揮していた。あくまでゴッホが苦悩の人生を歩んでいたという事実は、それ自体が神話であり、自然の中で絵筆を握り続けた日々が不幸だったとは到底思えない。彼の人生は彼だけのものだ。余計な詮索はこれ以上してほしくない。あなたはあなたが見たい世界を見ているだけだから。

ゴッホが食うのに困ってた、だって?

なら尋ねるが、
あなたは女性を抱くのに困ってないか?
最高の趣味に出会えているか?
イイねの数に満足してるのか?
たかが人間の人生、足りないものなど探そうと思えばなんだってあるさ。

数年前、個展を訪れた初対面の中年女性が突然キレ出した。

作品に興味を持って下さりいろいろな質問に答える中で、ぼくはやや饒舌になっていた。ぼくは、脱サラをして今のアーティスト業を選んだ話をしていた。

「やっぱり、自分の好きなことをすることが自分も周囲も癒すということを知りました。これからの若い人たちにもそんな悦びを見つけてほしいという想いでやっています」

その前から少しずつ表情をこわばらせていた彼女は、この一言で堰を切ったようにまくしたて始めるのだった。

「でも、現実問題として!お金って必要ですよね?!食べて行かないとだめでしょう!?好きなことだけでそれができますか!?」

ぼくは面喰った。

なぜならこの彼女と話をしている中で一言も「金に困っている」ということは言ってないからだったからだ。アーティストは貧乏、と前提で彼女は話している。あるいはそうであってほしいという願いだ。

後々になって考えるに、「何かを諦めて来た元・夢追い人なのだろう」と彼女のことを考察した。その後、ぼくはしばらく彼女に同情し、「あまり人前で調子に乗って話すのはよそう」といましめた。誰もがぼくのように幸せな人生を歩んではいないのだと、言い聞かせた。

しかしあれから数年経ち、改めてこう思う。

「知らんがな、ボケ」と。

ぼくはぼくの素敵ないばらの道を行き、彼女は彼女の道をゆく。ただそれだけだ。少なくとも、ぼくを応援してくれている人々は、(絵画教室の生徒や保護者たちなど)苦悩の表情を浮かべているぼくより、煌びやかなステージに立つぼくを見たがっている。

もうやめへんか?苦悩することが美徳、みたいなのん。正確に言うと「苦悩してまっせアピール」こそ美、かな。

たとえばぼくと同年代の男性で、勤め人の方々でさえ手にするサラリーは様々だ。副業しないとやっていけない人もいれば、左うちわの人もいるだろう。多額の給料を頂いていても「好きでない仕事」に従事しているかもしれないし、大好きな仕事で存分な金をもらっている人もいるかもしれない。そんなことは他人に関係ない。己の立つ道だ。

ぼくはかれこれ8年近く、恋人がいない生活だけれどそこに幸も不幸もない。ぼくはハンターのような気質を恋愛には発揮させることができないが、仕事においては発揮できる。ただそれだけだ。全部に才能を使えるならそうしたいところだが。他人が「もったいないよ、八田さん」と言うことがあるが、あなたの下半身はぼくの下半身ではないので心配無用。あなたはあなたの生き様を極めればいい。

話は逸れてしまったが、世の中に「○○にお金をかけるのをいとわない人」がいればその逆に「○○には一銭も使いたくない人」もいるように、価値観はずっと大昔からばらばらなはず。それは皆知っているし、見てきてるはず。でもそれなのに多様性を認めたがらない。受け入れることを拒絶する。

そんな彼らはYouTubeで飯が食える、なんてことを10年前に想像できただろうか。
もっと言えば、ぼくが幼かった頃に冗談めかして存在した「勉強できひんのやったら吉本興業入れるで!!」みたいな叱り文句はどこへやら。今ではお笑いは花形の職業であり、スターの証し(ちなみにぼくは物心ついたときからお笑いの人は問答無用のスターであった)。
「アーティスト=貧乏」というテンプレートを大切に脳みそに保管している彼らは、マイノリティの所属者たちが「大金を得ている」ということがハッキリすればにこにこと白旗ふりふり、お尻を見せながらすり寄ってくるのだろう。

「どうすればあなたのように成功者になれるんですか?」と言いながら。

断言するが、この世(ジャパン)は狂っている。そこに「愛」はあるんかえ、と言いたくなる。

多様性を、自分とは違う世界を受け入れたからと言って、誰もあなたを否定しない。あなたの歩んできた道は美しく、誰も真似できない真実なのだから。

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