全10回に渡って、2017年11月24日に終了した個展「Muse~いのちのためのオムニバス~」開催の経緯と終了までをブログで投稿します。
ぼく自身が次の活動への資料と、今後の反省のために記録したブログです。
ぼくは切り絵アーティストとして活動していますが、同じように個展やグループ展などで作品発表をなさる方や、
アーティストの人ってどんな人間なんだろう??
と素朴な疑問を抱く方も、面白く読んで頂ければ幸いです!! 何か活動のお役に立ててもらえたらなお嬉しいです
第1話 叫びを忘れたアーティスト!
2015年は切り絵作品のみによる、初の大きな個展を開催した年でした。兵庫県たつの市御津町のホテルシーショア御津岬(2021年閉館)内に併設した、ロビーギャラリーです。ひと月に渡る展示、海の見えるロケーション、広大な空間。活動開始して3年足らずという無名のアーティストにとっては、最高のステージでした。
海を一望できるロビーを併設したホテル。毎月さまざまなアーティストの作品が展示されるのを楽しみにしているファンが多い場所でした。
けれどこれは、ぼくが本当に自分の力の無さを痛感した個展でもありました。
誰でも彼でも開催できる場所ではなく、2年くらい先まで絶えずスケジュールの決まっている会場です。作家の方から申し出てもなかなか展示させてもらえない場所です。ステータスというか、由緒正しい会場とも言えます。有難いことにホテルの担当の方から直々に声をかけて頂き、話が持ち上がってから1年半後の、2015年7月開催ということで決定しました。
個展終了後、心の底から反省しました・・・というかとても落ち込みました。自分に対してこう怒鳴りつけたかった。
画家なら誰でもそうだろうと思いますが、個展開催が近づくと、急激に(思い出したみたいに)動きも慌ただしくなり、時間に追われてなだれ込むようにして初日を迎えるものです(要領の悪さはぼくだけのことかも知れないですが・・・)。
用意した作品は20数点。LIVEパフォーマンスで制作した大作5点を始め、この個展のために制作した作品、以前からあった作品等。1点1点、どれもその時点で、どこへ出しても恥じることのないものばかりでした。今でもその思いは変わりません。
ライブパフォーマンスで制作した2m近い作品も展示できる広大なスペース
しかし、初日前の搬入で、薄々自分でも気づいていたんですが…
これではまるで、期日に合わせ、空間を埋めるために作品を作ってるようではないか・・・
…と。
個展が開催できるということそのもそのにゴールテープを切った気分を味わい、舞い上がっていたのかも知れません。話を頂いたとき、今ある作品にあと少し足せば、この広大なギャラリースペースを埋めることができる、などなど考えて行って開催日を迎えました。
例えば音楽家の方でも、アルバム制作にあたってリリース日が決まっていて、こなだシングル出したからそれ足してあとだいたい10曲ほど作って…といった流れでものをこしらえることはあるとは思います。ただ、ぼくのこの個展開催が、今言ったようなシステマチックな音楽家のパターンに似てるわけですが、こういう姿勢というか方法は、ぼくにとってものすごく居心地の悪いやり方だった。
誤解されないよう補足して言わせていただくと・・・
途轍もなく才能のあるアーティストなら、そういうやり方でうまく物事は運びそうな気がします。
高い技術と才能を持ったアーティストであれば。
しかしぼくのような凡人はそれではいけないと思っています。ぼくのような凡人は、もっと原始的な欲求を叫んでこそ表現が成立すると思っています。当然、やみくもにエモーショナルに何かを作ったり行動することがすべてではなくて技術の向上や勉強も怠ってはいけないですが。
ホテルシーショア御津岬での個展には、ぼくの原始的な叫びが全くなかったなあと思いました。
一体何を見てもらいたいんやおれは・・・?
と自分で突っ込まずにいられないほど、なんか、うまく言えないですが・・・「やっつけ」とまで言わないまでも、「作りました揃えました」みたいにして終えた感じがしました。
多くの方々に足を運んで頂いたけれど、心の中では地に足付かない気分というか。
大好きな人たちにもたくさん来てもらいました。
次は絶対こんなことはナシだ、と心の奥底で決意しました。何年かかってもちゃんとやり直して、この時の反省を活かして取り返さないと!と思いました。
2年後に東京で開催することになる個展「MUSE」。
今思えば、ここが「Muse」への出発の動機だったわけですが!!
そしてこの2015年も秋になり、ある方からのアプローチがあります。
それは映像制作会社の社長さんからのご連絡でした。
つづく
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