弱虫な少年が、アートに救われアートに生きる男になった物語。
「そのパン美味しそうやなあ。」~Hachiのヒストリー~
初めまして、
このサイトを
を運営しているアーティストHachiです。
切り絵という表現で作品を制作していますが、皆さんはどんな作品や創作の目的をご想像されますか?
ここではアーティストHachiがどのような人物か、どのような活動を行うアーティストなのかについてお話していきますね。
Hachiは何をしている人か?
Hachiの主な活動
- 切り絵アート作品を作る
- 切り絵パフォーマンスをする
- アクリル絵画を描く
- 似顔絵を描く
- 絵画教室をおこなう
名刺に書いている肩書としては切り絵アーティストだったり、絵画講師だったりします。
このほかにも、自分の切り絵のテーマソングを作って歌ったり、中学生たちの前で人生についてお話したり、さまざまなコミュニティーにお邪魔したりしています。
時にはLIVE切り絵パフォーマーとしても!
教えるHachi先生
自身のアトリエで絵や切り絵を教える教室を行っていますが、幼保育園・小中学校・高校などへおもむいたりしたワークショップを含めると1000人以上の方々に教えてきたことになります。
表現するアーティストHachi
生徒たちが去った後、アトリエでは教えるHachiから表現するアーティストHachiとして、切り絵作品を描きます。ときにはアトリエを飛び出し、会場で大きな切り絵に挑むパフォーマンスも20回以上おこなってきました。
これまで作品を作ったり個展会場にいることで様々な人々と出会わせていただきました。時には子供のころから憧れていた人物とも・・・!
表現するHachiの体験談。それを将来をになう学生さんの前で、教えるHachiがお話することもあるのです!
フジテレビ「ワイドナショー」にスタジオ出演させて頂いたことがあり、ずっと大ファンだった松本人志さんにお会いできました!
こんな方にも作品をお褒め頂きました・・・!
自分の絵にテーマソングも作って歌ったりもします!(ときどき中のときどき、レアですが・・・)
ここからは幼少時代のHachiが描いた絵とともに、ブログタイトルの由来についてお話しますね!
タイトル「そのパン美味しそうやなあ。」の由来。
小学生1年生の時でした。
パン工場見学に行ったんですね。
学校へ戻ってくるとその時の様子を感じたまま、それぞれ絵を描きました。
少年Hachiは心に焼き付いた光景に思いを馳せました。
あの何とも言えない甘い香りと、見たこともない大きな機械から運ばれてくるふっくらとしたパン。
描きあがった絵を見て、みんなの前で担任の高橋先生が言いました。
「八田くんの描いたそのパン、美味しそうやなあ!」
「うまいね!」「よく描けたね!」という言葉でももちろんいい。
ただ、「ぼくの描いたパン、美味しそうなんや!」と思ったHachi少年は、大好きな先生に認められたことで
絵を描くことが好きな少年
絵を描くことで自分を表現する少年
絵を描くことで自分を信じられる少年
に、なれました!
ひたすら順風満帆な人生を歩む人は、ただのひとりもいません。
Hachi少年もこの後、いろいろなげやりになったり絶望とかいっぱいします(笑)
でもどんな困難に見舞われようと何かに迷おうと、
信じられるものがたったひとつでもあれば、やり直せる。
Hachiはそう思います。
思い出してみてください。
あなたにもそんな言葉や場所をあたえてくれる出会いが、きっとあったはずです!
そして舞台は昭和。
教えたり描いたり歌ったり・・・そんなHachiの物語は、泣き虫なひとりっこの少年の一人遊びから始まります!
世界遺産のすぐそばに生まれた少年はすぐ泣くすねるひとりっこ!
少年Hachi。
はい。
この子が後に切り絵アートを描いたり、アートを教えたりするHachiです(笑)
とてもよく泣く子だったそうで、初めて送迎のバスに乗せられたときはずっと泣き続けていました。
でも・・・
ひかり幼児園に到着して間もなく、すぐに他のみんなとワイワイやっていたようです(笑)
兄弟のいる子と違って、ずっと両親べったりの日々だったから離れることに抵抗があったようですね。でも元来底抜けに面白いことが好きだったのですぐに輪に入れたみたいです。
ただ、幼児園に入るまでにひとり遊びにずいぶん慣れていたので、誰もいないところで絵を描いたり、本をめくって眺めている時間も苦ではなかったんです。
舞台は兵庫県姫路市。
のちに世界遺産となる姫路城がすぐそこ。
Hachi少年が生まれ育った町は当時はまだ、とてものどかなところでした。
いじめにあう…ケンカはしません!だから武器を手に取りました。
絵を描く以外に小説、映画、演劇、お笑い・・・エンタメのほとんどすべてに興味のある10代でした。スポーツとか、女子ウケのいいものはからきしでしたが💦
小学生になりたてのHachi少年はサラサラの長髪で、よく女の子に間違えられました。そしてクラスメイトからこんな言葉が・・・
「おまえ女みたいやな。おんな~、おんな~!」
って、からかう程度が始まりだったとしても、こどもってやっぱこどもだから、何事もエスカレートしていくじゃないですか。そのまま冗談だけでは収束しないというか。しばらくはただただ泣いて帰るのですが、見つけました。
いじめに対抗する武器。
それは・・・
みんなを楽しませるということ。
お笑いと絵、でした。
「おもしろいはっちゃん」
「絵がうまいはっちゃん」
誰かが(特にガキ大将的な力ある存在)そう言い出すと、不思議と一目置かれるようになる。こどもの頃に体感して今なお体の芯の部分に根付いた感覚です。
つまり、どんなことが身にふりかかろうと
打開策は必ずどこかにある
というわけです。
みんなの心を射止めるために流行りのキャラクターや喜びそうな絵を描く。絵はしっかりうまくなっていって「チョロQデザインコンテスト」でグランプリを獲得したり、卒業文集の表紙をまかされたり・・・。
ただ自慢のサラサラヘアーが、なぜかだんだんと年中寝ぐせの治らない天然パーマと化していきました(笑)
思春期を迎えると、それがけっこうコンプレックスになりました。狭い世界の出来事ですけど。
そんなHachi少年には密かな将来の夢がありました。
それは!!
漫才師になることでした!!
お楽しみ会で台本兼演者をやったり、漫才めいた出し物をすることが楽しくて楽しくて仕方がありませんでしたねえ。
でもあの!
ダウンタウンの登場でその夢をあきらめます。まだ冠番組も持たない、NSCを卒業したばかりのお二人の漫才。衝撃的でした。新しくてファンタジックなイリュージョン。みんな虜になりました。若干二十歳そこそこで、技術も構成も群を抜いている。お笑いとはいえ、まさにアートでした。
小学生ながら思ったんです。こんなすごい人たちには適わないから尻尾を巻いて逃げるべき!
そう言い聞かせて漫才師になる夢は捨てました。
今思うとこのあたりから逃げグセがついてきましたね、いろいろなものに対して。現実というものが見えてくるというか。
しかし、運命とは数奇なものでこの何十年後かに、まったく別の道に進むことによって松本人志さんとテレビで共演させていただくことになろうとは、夢にも思いませんでしたが。→2020年12月20日フジテレビ「ワイドナショー」スタジオ出演を果たす!
お笑いも絵も、モテへんから嫌や!
ぼくの絵であの子の笑顔が見れるから。
中学時代。
授業中に、先生の似顔絵を描いてまわす。みんながクスクス笑う。気になるあの子が笑ってくれているかどうか、ちゃんと確かめて、幸せな気持ちになる。Hachiの絵は上達を続け、そこに面白さも加わっていく。恋をする。友達とはしゃぐ。恋をする。どうすればあの子の気持ちをもっと。ヒーローに、なれないかな。
ヒーローになりた・・・や、それよかモテたい!
中学校という小さな世界でのヒーロー。
それは足早いやつ、勉強できるやつ、ケンカ強いやつ、ヤンキー・・・つまりモテてこそ正義。みたいな。当然そうなるとHachiの出番はないわけです。
でもモテたい!
という思いが強くて、ちょっとずつ絵を描いたりおふざけすることが少なくなっていきます。読書のし過ぎでメガネかけるようになりましたし。将来何になりたいかなんのビジョンもないけれど、とりあえず勉強はしとこうか、みたいな流れにはのりました。
ちょっとずつ、本来の屈託のない少年の影が薄れていきましたね。
大切な大切なものをいったんぼくはドブに捨てた。
俺は醜い。
映画「男はつらいよ」で恋をする寅さんや甥の満男くんが、その純粋な気持ちゆえに口にします。大人になった今なら、満男くんの父上が言う
「自分の醜さを知った人間は、もう醜くない」
なんて言葉を、同じような悩みを持つ若者にさらりと言えそうですが、10代の立場ではただただ葛藤するしか、内面でじたばたするしかできません。屈託なくはしゃいで笑って過ごしてきたHachi少年。
で、これが高校生になったHachi。
ぜんっぜん顔つきが変わりましたね(笑)・・・笑えないレベルで。今で言う陰キャというやつでしょうね。しかもゆがんでる。妙にお笑いとかセンスでものを見るタイプの、ゆがんだ男子・・・自嘲(笑) 自意識やらコンプレックス、幼少期にはなかったいろいろな不純物をこしだせないまま、みんな思春期を過ごすわけです。たぶん。
男友達は決まったグループがいつも周囲にはいましたが、もちろん女子にはモテません!
絵を描いてるやつダサい。
映画や本のオタクダサい。
っていう結論に落ち着けるんです。そうやって過去の自分と決別宣言しないといられないモヤモヤ感。
この頃は運動系の部活で毎日汗を流してる同級生が眩しくて、劣等感満載の横目で見てました。
Hachiは本来ならこの10代の時、好きな絵とかお笑いを純粋に心のままに進めばよかったんです。なぜなら、そうすることが「部活で毎日頑張ってる連中」と肩を並べる行為だったからです。
ワルにもなれない、ガリ勉にもなれない、チャラくもスポーツ少年にもなれない、ただただ目つきだけがギラギラした、どこにでもいる高校生。
間違った「イケてる若者」街道まっしぐら。
お笑い? ダサいねえ。
絵を描く? もっとダサいねえ。
これからは・・・
ロックや!!!!!!!!
神戸の大学に進学しますと、今度は密かに「ミュージシャンになる」という思いを秘めつつ、音系サークルでバンド活動を始めます。
そろそろ気づいたかと思いますが、Hachiって実は・・・
大阿保なんです・・・
歌もギターも下手、練習嫌い、努力苦手・・・だからライブでステージ立っても失笑を買ってる。で、そのことに対しても「あいつらが分かってないねん」みたいな(笑)
極めつけは憧れの某ミュージシャンのマネしてわざと留年して、大学を5年かけて卒業。
今思うと本当に親に申し訳なくて胸が締め付けられる。
だって相当お金いりますもんね、大学1年余分に行くのって。今でもたまに思い出して情けなくなる思いです。
・・・とは言え、今でも関係が続く良い仲間たちとも出会えましたし、Hachiの長所でもある「屈託なくいちびる(ふざける)」がいかんなく発揮できた時期でした!
ただ、その後も「ミュージシャンになる!」と現実離れした夢想を抱きながら卒業したことがのちの悲劇
「詐欺音楽事務所事変 in TOKYO」
へと発展するわけですが・・・
おら東京さいぐだ・・・俺は他人とは違うんだいっ!
就職するも3か月で逃亡。それってかっこいいつもりなんか?
5年かけて大学を卒業後、地元の小さな販売会社に就職しますが
「俺は他人とは違う、すごいやつなんや」
などと考えながら、心ここにあらずのまま入社。三か月後には「昼飯行ってきます」とバイクにまたがりそのまま逃亡・・・
なんかそういう大胆な行動が、かっこいいと思ってたんでしょうね。このHachi青年は。
父さん母さん、おれミュージシャンになる!
サラリーマンには向いてないし、おれはやっぱりどこか他人さんとは違いますし、どうたらこうたら・・・(Hachi)
あんた・・・頭おかしなったんけ??(オカン)
歌も楽器も上手くない、でもカリスマ性はある・・・はず俺! なんの根拠もない自信にしがみつき上京します。当然両親からは「おかしなったんか?」言われるほどの猛反対。それを振り切っての脱走。現実から目をそむけてるだけだった、と今では知っています。
「好き」だけで描いた絵でみんなから評価されたけれど、「コツコツ努力する」ことで評価を得たことがないHachi青年でした。それはそれでいいところだったんですが、なんであんなにジタバタしていたのか。
ニセ音楽事務所の詐欺にあう・・・そしてHachiは途方に暮れる。
ここが東京かあ! 夢は後回し、やがて生活に追われる日々。
はじめての一人暮らし。夢と希望がいっぱいのHachi青年でした。
「バンドのメンバーさがして、おれのかっこいい曲ぶちかましてさっさと世の中認めさせたる!」などと息巻いていたのもつかの間。
今までごはんも、洗濯も、掃除も、買い物補充も、誰にしてもらってきましたか?
やがて生活費のためのバイトに追われる日々へと変貌。そのバイトでも平気でお客さんに失礼な態度とったり、遅刻したり、ぶっちしたり・・・そりゃそうなります、人を尊重していない若者・・・や、自分自身を尊重していない若者なんですから。
忍び寄る悪意。最終的に150万円を騙し取られる。
華やかなものに目がくらみ、努力をしないで一発逆転を狙う。
そんな若者を食い物にするのは、連中にとっては赤子の手をひねるも同然。新進気鋭の音楽事務所を名乗る悪のグループがHachi青年の心の弱さにたくみに取り入ります。華の都・大東京で。
CDデビューを餌に、最終的に150万円をだまし取られたHachi青年。
すっかり自信を失い、進路を見失い、姫路へ帰ることにします。2年半ほど大都会で暮らしました。たぶん今後の人生において二度と東京へは行かないんだろうなあ、とこの時は思っていましたね。
この一件で得た教訓。
- 人生に近道などない
- おれは天才ではない
- うまい話なんかない
- 自分を信じてない者が道を切り開けるわけなどない
・・・といったようなことです。とにかく地味にコツコツ何かをやるべきだと思い知りました。ごめん、お父さんお母さん。
これじゃあ20数年、なにもやってきてないのと同じじゃないか。
とにかく自分の甘さ・弱さ・手っ取り早くほしいものを手にしたいスケベ心・・・そんなこんな突き付けられて責めて責めて責めまくりました。それも含めてごめん、お父さん、お母さん。
じゃあ、これからどう生きるのか、Hachi?
人間誰しも自分の頭で考えないと出せない決断がある、と知ります。
やりたいことが分からない。でもひとつ分かってることがある。
大事件の後ではありますが、ドラマみたいに「1年後」ってテロップが出てきて、急激な展開を迎えるわけもなく、元来おっとりした人間なのでしばらくのほほんとバイト生活を送りました。実家はやっぱりいいなあ、なんて思いながら。地元・姫路の実家暮らし。しばらくバイトをダラダラとしました。
当時新しくオープンしたお店のオープニングスタッフだし、店長も呑気な方だったから居心地よかったんです。他のスタッフも女性ばっかりだったから気楽でした。ほとんど主婦の方々だから時給〇〇円で働く仕事に就いているのは当然のことで、そこに働き盛りの男が馴染んでいていいわけがない。そのうち、この平和なものが自分を蝕んでいっていることに気づくわけです。
おれは何しに戻ってきた??
答えは、それを見つけるため、です。ビッグスターになんかならなくても、大金持ちになんかならなくても、自分の才能を世の中に見せつけなくても、自分がしたい生き方。
帰郷したHachiに、両親や周囲のみんなは優しく、しばらくその温もりに甘えていました。甘え切ってました。そろそろ、自分の生き方を、道を、この手にしなければ。
この頃は落書きレベルの絵も描いておらず、描くこと自体拒否してました。
なぜなら「絵を描く自分」を、「ダメだったころの自分」という烙印と抱き合わせにしていたからです。そしてとにかく一歩を踏み出すためにHachiが出した結論はこうです。
やりたいことが分からない。それは今すぐ分からなくてもいい。
代わりにやりたくないことは分かっている。なぜやりたくない?それはしんどいこと、自分にできないこと…と決めつけたこと。じゃ、そこに挑んでみよう。何年間か。
極端で真面目な性格のHachiは、「やりたくない」と逃げてきたことに立ち向かうことで自分の弱さという膿を出せるんじゃないかと考えました。そしてその「やりたくないこと」は営業の仕事でした。いわゆるお客さんに売り込みをするセールスマンです。
一人っ子で穏やかな環境に守られて生きてきました。兄弟もおらず、過酷な部活動もせず、これまで誰かと競争するということからもうまく逃げてきましたから。だから誰かに物を売ったり、セールスを争ったり、そんなことできっこない!という考えですね。
けれど一度も挑戦してないなら、それができるもできない、もない。
勝ち負けのジャッジをされることすらも避けてきた
ことにようやく気付いたんです。
パワハラサンドバッグ時代。Hachiにとって最も厳しい戦い篇。
過酷な昭和のノリ。恫喝。でももう逃げない…トップセールスマンの座を獲得!
地元ではそこそこ有名な某販売会社に入社しました。商品の専門知識もなく、引っ込み思案で赤の他人にセールスをする度胸もない。・・・そんなHachi青年が
「トップセールスマンを目指す!」
と息巻いて入社した会社は、社長の怒号とその息子たちの権力争い・足の引っ張り合い渦巻く、超絶パワハラブラック企業でした! …これでもまだ形容する言葉が足りないくらいですが、何となくでイメージしておいてください(笑) 良くも悪くも昭和の体育会系のノリで、商品が売れなかったら当然のように1~2時間にわたる精神論&怒号にさらされ、商品が売れても「売り方が悪い」と1~2時間にわたる精神論&怒号にさらされる、という会社。これまでのHachiならすぐに逃げ出すところですが、もう今までさんざん親のすねをかじり、甘え、逃げ、なまけてきました。ここはひとつ、
厳しい部活に入部したつもりでとことんやってやる!
と腹をくくったのでした。確かに今の世の中「パワハラ」とか「圧」とかいう言葉には敏感で、Hachiの入社したこの頃もギリギリグレーゾーンな感じではありました。しかし・・・まあ・・・言ってることや理想とすることはほぼ正論なんですよね、こういうパワハラの横行する会社の社長というのは。正論だからこそたちが悪いという側面もありますが。
とにかくHachiとしては、こういう厳しい環境の中で上を目指すことで自分の弱さを打破すると決めたわけですから、一つ一つを時間をかけて解決していく作業を始めました。
専門分野の勉強、知らない人の懐への潜り込み方、経済、酒の飲み方、女性、人間、世の中・・・ありとあらゆる方面へアンテナを張り、休日も異業種の人々と交流したりしました。また、社内のライバルとの差を図るための知恵や工夫に頭をフル回転させたりし・・・
2年後、トップセールスマンの座を獲得しました!
激しいストレスが、遂に男性としての機能を奪う。
しかし、ストレスにやられにやられ身も心もズタボロになりました(´;ω;`)・・・まあ、ある程度はお酒や大人の遊びで解消することは覚えていましたが、ストレス激しすぎて遂に、そのぉ・・・はっきり書きにくいのでちょっとぼかして表現しますね・・・
男性としての機能が停止してしまいました
仲のいいメーカーさんが「八田さん、これ飲んでみ」と言って某有名な製薬会社の有名なお薬をくれました。それも全く効果なくて、つまり肉体的なことではないんですよね。完全に精神をやられてる。
ど、どうしよう・・・まだ結婚もしてないし、この年齢(当時30過ぎ)でもう・・・できひんの俺??????
この症状に襲われたことがある人は分かると思いますが、とても恐ろしくて病院にも行けないんです。恥ずかしいし。この症状は結局、1年半くらいして治りましたが当時は死を覚悟しました。食べる楽しみや色恋の喜びなくして、人間として生きていけるか? 本当に悩みました。考えないようにする以外手立てがなかったですね。
幸いHachiにはお酒や映画やギター、読書、というように色々な趣味がありましたのでなんとか散らすことができました。
でも、悪いことばかりではなかったですよもちろん。社員旅行も楽しかったし、学びは多かったです。8年間そこで勤めましたから。
男性としての機能停止中のHachi
男性としての機能停止中のHachi
トップセールスマンになる、という目的は達成しました。しかし維持し続けるにも精神的にも難しいと感じていました。離職する社員を横目で見ながら、心も折れそうになっていきます。
そんな時、人生の舵取りを変えるあることが起こります。
Hachi少年を取り戻せ。目覚めはある女性のおかげだった。
ある女性とお付き合いをしていました。Hachiはちょっとした遊び心から「似顔絵描いてあげる」と、そのへんにあったペンと紙を手に取り、その彼女を見つめて絵を描きました。彼女はかたわらにあった携帯に手を伸ばしました。
「動くなって!」
「へへへっ♡」
彼女は笑いながら、自分に向かって絵を描いているHachiの写メをパシャリ!
「おいおい(笑)!」
そう言って彼女の携帯を取り上げてその写メを見ました。それを見たHachiは、愕然としました。
これ・・・俺の顔? 絵を描いてるとき、こんな、・・・良い顔してたんや
社員旅行や友人と飲んでふざけて撮った写真とか、当時の自分の顔は鏡でも毎朝見ています。だからこそ、衝撃的な写メでした。こんなに穏やかで、優しい顔・・・俺はこんな顔ができるんや。
完
いやいや、何が「完」っやねん! 終わりとちゃいまっせ。これからやこれから。
間もなく、現在のHachiとして道を歩み始めます。もう少しお付き合いください。
焦らず騒がず、虎視眈々と現実にしていく。それが夢。
どうやって絵を描く、という好きなことで生きていくのか。
どう具体化していくのか、まったく何もアイデアは浮かびませんでしたが、とにかく自分の道を作って進むべきであることは分かりました。正直、すぐにでも会社はやめたい!と思っていましたが、こういう時まずやるべきことがひとつあります。それは、準備すること。まずいきなり会社をやめない。冒険も素敵、でもお金大事。
Hachiは人生初の絵画教室へ入塾し、毎月最低10万円を貯金すると決めました。ビジョンが具体的になった頃にはきっとお金がいるはず、そう思いとにかく早く会社をやめてとびだしたい気持ちを押さえて過ごしました。虎視眈々と。
少しずつですが預金残高がコツコツ増えていく。仕事のなかで様々な人々と出会い、交流する。そんな中、思い出しては奮起するのです。彼女が撮影してくれた「自分自身の良い顔」とそして・・・
そのパン美味しそうやなあ!
と言ってくれた小学生の時の先生の言葉。
Hachiは思うのでした。自分自身がそうであったように、
好きなことをいち早く見つけ、それを信じる・愛することで人はより良い人間になる。もし一人でも多くの人がこのことを実践すれば世界は今より少し良くなるかもしれない。その輪が広がれば、100年後には起こるはずだった戦争の一個くらいは食い止められるんじゃないやろか。
そこまで考えた時、輪郭が浮かび上がってきました。
ただの男がアーティストとしてやっていく姿を、痕跡を残す。
Hachiのアートのお城をつくる。
砂漠に汗を落として、誰かがそれを道しるべに
それだけでも何か残せたつもりでいいよ
これは大学時代に作った歌の一節です。われながら気に入ってるフレーズなんですが、ずっと忘れていたこの言葉を思い出し、自分にできることやるべきことを何巡も考え抜きました。そして「絵画教室を開講」し「アートを作る」ための場所を、
自分で作ろう!!
と決めました。自分でつくる、とは言ってもちゃんとローン組んで建ててもらうんですが、ちょうどこの頃に風水とかに詳しい設計者の方と出会っていてその方に「アトリエ兼ギャラリー兼教スクール付の家」の設計を相談しました。
計画は着々と進行していきます。人生初の一戸建て。Hachiはずっと団地暮らしでした。また数千万円といういわば投資。こんな思い切ったことを行動に移せたのは、信じるもの・愛するもの・誠意を尽くせるものがあったからでした。それがアートという目には見えない存在。自分を救ってくれた、自分を良い人間にしてくれて、自分の存在価値を認めてくれるもの。それがHachiにとってのアートでした。
しかしここでひとつ問題が。土壇場で引っ込み思案、発動中・・・
最後は風がまわしたルーレットが運命を決める。
会社に辞めることを伝えられないまま、アトリエの完成が近づいていきます。もっと言いますと、あの怖い社長に「会社辞めます!」と伝える度胸がない・・・。それに加えてここまできてまだ、ふんぎりのつかない部分がありました。収入的なことです。ここからアトリエのローンを支払いながらやっていくわけです。果たして大丈夫なんか・・・頭をよぎらないわけがない。
心の片隅で「はじめのうちは勤め人しながら始動させよっかな・・・」とか思うわけです。つまり会社に内緒で二足わらじでこっそり進めながら、教室とアート制作の収入が増えていったら乗り換える、みたいな感じでいけないかなと。そういうどっちつかずな気持ちを抱えたまま数週間経つうち、アトリエ完成。で、ある朝会社に行くとHachiの机の上にその日の神戸新聞が置いてあり・・・
あ、忘れとった・・・俺、神戸新聞の取材受けてたんや💦
社長のおうち、神戸新聞とってましたんで辞意をお伝えする前に、はい、ばれてしまいました。こっそりやってたことが。まあ今考えればそもそも、こっそりやることでもないんですがとにかくこの当時は、この会社の社長が恐ろしすぎて何も自分の考えを言えなかった。自分が弱いだけなんですけれどね。
かくして2012年9月、アーティストHachiが誕生しました。