絵画教室の生徒たちにもときどき伝えることのひとつ。
それは・・・
あ、いや違うな。自分の脳が都合良くすり替えてる。ぼくが伝えている、というよりは逆に教えられてることだな。
常日頃から「そうありたい」と思いつつ、実践できていないことをときどき生徒たちから学ぶことがいくつかあって、そのひとつです(笑)
「好きな本は繰り返し読むほうが良い」
ということ。もっと言うと本以外の映画やアニメ、それに類するコンテンツです。
ぼくが子供の頃はネット環境もなく、本もビデオも借りるか手に入れるかしか選択肢がない時代。気に入ったものは自動的に何度も何度も、味わってきました。
大学生になり、大人になり、自由になるお金も増えてくると、大好きな本や映画を次から次へと体へ流し込むことができるようになりました。
そしてネットのおかげで乱読・乱鑑賞(?)はさらに加速。
・・・でもなんだか心の胃もたれが最近してきました。皆さんもそんなことってないですか?
知恵を得たり、新しい感覚や発想を身につけるために、世界中のありとあらゆる作品を浴びるべきだと、若い頃から思っていました。
でも果たしてそうなんだろうか・・・あまりにも自由にあらゆるコンテンツに手が届くようになった今、ちょっと立ち止まるようになりました。
数年前に気づかされたことがあります。
作家・東野圭吾さんのケース
皆さんは東野圭吾さんをご存じですか? 日本を代表する小説家ですね。映画化・ドラマ化された、されようとしている作品は数知れず。
いやその前に著書そのものがすごい多作・・・
皆さんの中にも、「本を読んだ」「映像作品だけ見た」という方は多いと思います。
ぼくは以前から、東野圭吾という作家はチームなんじゃないか、という疑惑を抱いてました。
複数のメンバーで一人の名前を名乗り、手あたり次第作品を発表している、と。それくらい
「こんなに多作で、バリエーション多いストーリー作れるねん!!」
というイメージを持っていました。
あくまでイメージですが。
作品に触れた方は分かると思いますが、物語のシチュエーションから、ジャンルから、とても幅広い作風だなという印象を受けます。
ぼく自身はファンというわけではいので、詳しく把握しているわけではないのですが、同じ表現者として、どんな生態なんだろうと気になっていました。
勝手に思っていたのは、「若い頃にむちゃくちゃ本を読んできたんだろうな」ということ。いまは作家活動が多忙だから、他の作家さんの作品読んだりアップデートにはそれほど時間割けないだろうから。
ところが、あるインタビューで東野氏がこうおっしゃっていました。
「ぼくはあまり本を読みません。若い頃もそれほど、です」
と。続いての答えを読むと、これが謙遜とかでないことがわかりました。それは、この方の作品制作の核となる部分でもあるようでした。
自分のコアを掘り下げていく
「あまり読書家ではないです。・・・・ただし、好きな本を何度も読むんです。それも、その中の好きな箇所を」
これはぼくが子供のころずっとやってきた作業。でも視野を狭めてはいかん!と手広くいろんなものに触れるようにしてきました。
東野氏曰はく、
「自分の好きな箇所」=「最も自分の胸を打つ」「最も自分に響く」
ここに自分のブレない考え方や志向がある。
その核心をもとに、設定や登場人物を変えながら作品を書いているだけ、ということでした。
SFだろうが、ミステリーだろうが、形は違えどいつの世も、結局は人の心に響く部分は変わらない。だからその部分を掘り下げる。
最後に~「深める」という作業の大切さ~
そうなんです。見聞や知識を「広げる」ことも大事ですが、「深める」という作業も大事のようです。
ぼくの教室の生徒たちは、わりとそういう傾向の多いメンバーです。好きな本を覚えるほど読む。
Hachi調べですが、これって天才肌の人に多い傾向のようです。
同じ映画、同じ本、同じドラマ・・・好きなものをリピートする傾向の人は「飽きる」とか「飽きない」という次元でたぶん見てないと思います。
この説はまだまだぼくにとって単なる興味の域を出てないですが、なにか理論めいた言葉で理解したいと思ってるテーマです。
視野が狭いのでは…というコンプレックスに悩まされてました。
かくいうぼく自身、毎年夏になると「ビーチボーイズ」というドラマ全話コンプリートしたり、村上春樹の本や「寅さん」を延々最初に戻って観たりする性質です。
そして誤解ないように言いたいのですが・・・
ぼくは自分が「天才型」の人間である、と言いたいのではありません!! ちょっとコンプレックスに思ってたんです、凄く自分が視野の狭い人間なんではないかと。きっと同じように感じている人は少なくないと思うんですね。そんな方々に伝えたい・・・
変人じゃないですよ!むしろ天才っぽい資質あるんですよ!
と!
ちなみに今まで一番見た映画が115回。
この精神的メカニズムみたいなものは、なんなんでしょうか。分かってるのに、知ってるのに、何度も観たくなったり(音楽だったら)聴きたくなったり。
ただ、
手あたり次第に作品を浴びるように消化している時期は、なんだか気持ちが落ち着きがなかったり、結局何も記憶や心に残っていない、という実感があります。
映画は自宅で好きなものを選べますし、本を読まなくてもYouTubeで好きなだけ勉強ができる時代です。
でもやはり、心穏やかな方法を選択することも必要かなと思います。もちろん自分だけの方法として。
まだまだ個人的研究途中のテーマです(笑) つまり、どういうふうに自分に芸術的な栄養を与えると、より自分の作品や教室に生かされるか、とても興味があるからです。
ひとつのことを深める
これはこれからいろんな進歩を遂げていく時代のなかで、とても重要な事でしょう。変わりゆく色んなものに惑わされない自分自身を作り上げるために。
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