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真っ向勝負でしか生きられぬ哀しみを眠らせて。

いつも自分をキリキリに締め上げてしまう。やりすぎてしまうのだ。うまく休憩をとれないまま突っ切ってしまう。
今年ふたつの作品展を控え、いつものようにギリギリの縁に自らを追い込んで、おかしくなりそうになってる今、できるだけ思い出すようにしている言葉がある。

「ギターの弦も同じで、最大限に締め上げてしまわず、ある程度のゆるみがあってこそ良い響きが生まれる」

リスペクトするミュージシャン、氷室京介さんの言葉だ。
適度なところでとめおく、ということがぼくは昔からできない。こう書くとなにやらストイックな人物像を抱かせるかもしれないがそうではなく、バカ力で行こうとしてしまうところがぼくにはある。昔からそうだった。

小学生に上がる前から日をまたいで絵を描くのは当たり前、ギターのストロークは弦を切るまで練習する、恋の告白は屋上でフラれて翌年にまた同じ子に告白する(で、またフラれる)。何事においても器用に立ち回れず真っ向勝負しかできないのだ。ずんずん進むことでしか事に当たれない。

幼少期のころ、ぼくが住んでいた団地。友達とボール遊びをしていたら、3階のベランダに勢いよく入ってしまった。窓ガラスにどんと音を立てて。日曜の昼下がり、ベランダの奥から誰かが窓を開けようとする気配が感じられる。友達は慌てて、その3階からは見えないであろう建物の陰に隠れる。でもぼくはその場でじっとしていた。
「こっちへ来い!そこにいたら見えるやろ!」と友達。
きっと友達はぼくのことを単に「頭の働かないトロいやつ」と思っただろう。でもちゃんとわかってる。その友達の立っている壁に、並んでへばりつけば、まるでマジックのように3階の住人には見えないことは。
それでもぼくは明らかに「ボールはこのガキが投げた」と分かるその場でじっと身動きしなかった。

あざとく立ち振る舞えない。その性格のおかげで、周囲の言う「おまえは損をしている」人生の連続なのかもしれない。手を抜いて首尾よく行動をまわりに見せて、適当な評価を得る。汗をかかずに。これができたらどんなにいいだろうと心から思う。とてもスマートな生き方。しかし無理なのだ。何度か、周りの友達のように要領よくものごとをこなそうと、見よう見まねで何かをやってもみた。でもうまくいかないのだ。たぶん、アレンジする能力が欠如しているのだろう。

子供の頃から強く学んだことは「誰かがうまくいっているメソッドは必ずしもすべての人にあてはまらない」ということ。特にぼくという人間には、ことごとくはまらないことばかりだ。結局ぼくはいろいろな仕事に就いて来たけれど、自分の手で、自分の美意識のもと、アート作品をつくる人生を選ばざるをえなくなる。誰かの何かをうらやましがってみたところで、どこへも行けないと知ったのだ。

そんなぼくの個展は、2024年8月、大阪で開催します。ぜひお越しください。

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追伸
上記エピソードのつづき。団地の3階のベランダの件。
「とても正直な子だ。今回はその素直さに免じて許してやろう」
・・・などと当然なるわけもなく、こっぴどく叱られました。
まあもちろん、許してもらうために真っ向からむき身でいたわけではないので、結果はどうでもいいのですが(笑)

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