強度のHSPであると知りました。
「である」なのか「傾向がある」と表現するべきなのかよくわかりませんが。
「High Sensitive Person」の略だそうで、簡単に言うと
「神経質」
「感受性の強い」
とかいった、性質の分類ですよね。
病ではなく性質や傾向。
(HSPについての細かい説明は省きますね)
いくつかのアンケートに答えるだけで、セルフチェックができるので興味ある方は試してみてください。
一昔前ならこういった定義とかなかったですし、性質を分類したところでどうやねん、みたいに思わなくもなかったです。
しかし、自分の診断結果見て
「正直ホッとした」
というのが一番の感想です。
生きていくうえで何かの免罪符になったり、処方箋があるわけではありません。
ただ、子供のころから脱サラして現在のアーティスト生活に至る現在まで、ずっと苦しんできたことなのでとりあえず
「あ、俺ってそうなんだ」
と、あらがいきれないものへの諦めみたいなものができたような気がして、それでホッとしています。
夏は暑いものなんだ、
冬は寒いものなんだ、
といったレベルでのあらがえないものとして。
画家や音楽家、
表現者の方々にはやはり多いみたいですね。
そういう性質だから、そういう道を選んでるとも言えるほどに。
ぼくはこれまで自分のことを
「気が短い」とか「神経質」、
関西弁で言うところの「気にしぃ」
といった言葉で済ませてきました。周りも似たような言葉をくれるし。
でもなんかね、ちょっと違うんよなあ、って違和感を抱き続けてきました。
「気が短い」ってなんか、乱暴者・粗暴な感じするし、
「神経質」ってなんか不健全っぽいし、
「気にしぃ」って言うと女々しい性格みたい。
どれも当たってるっちゃ当たってますが(笑)。
じゃあどんなことにぼくがHSPぶり・反応を発揮するかというと、たいがいは「人」相手です。他者であろうと自分に対してであろうと。
おそらく皆さんもそうだとは思いますが。
例を、あくまで第三者に理解しやすく簡単にして書きますと・・・
後ろから忙しない足音立てて歩いてくる人、
映画館でうちわを仰いでる人、
クラシック音楽のホールで鼻息荒い人(静かな時間が多い場所です)、
「うん、うん、うん、うん」とずっと相槌打ってくる人、
イライラしている人のいる空間、
飲み屋で性欲隠して話している男女のオーラ、
金髪にした40男のギラギラした目と肌質(これは半分悪口)、
返事できていない自分、
まだ掃除してない自分、
頑張れてない自分、
気にしすぎている自分、
気にしなさすぎの自分、
音、
光、
空気、
ありとあらゆるものです。
ただ、「しんどい」ものだけに対する感覚だけではなく、良いものへの反応も同じくらい激しい。
ハッピーエンドの映画や好きな人との時間、
自然、
動物、
笑い話、
そういったプラスのものへの気持ちの高まりも、凄い。
HSPとはいうなれば
泣き上戸、
笑い上戸、
病み上戸、
といったところでしょうか。
とにかく昔から映画や本、ドラマで泣くことはしょっちゅうでした。
良いものも良くないものも、するりと受け取ってしまう人間。
で、大人になってから色々試行錯誤始めるわけですよ。性格変えるために。
スポーツいっさい興味ないけれど、ジムで泳いだり朝走ったりして体を鍛えてみる。
タバコ辞める、飲めない酒を飲めるようにして人と頻繁に交わる。
見た目に気を遣うようにして、苦手だった女性となんてことない顔して会話する。ナンパまがいのことしてみる。
・・・などと言ったことは全部、それまで自分がやらなかったこと。
違うことし続けていけば、自分の短所も隠れるか薄まるかするんじゃないかと思いまして。
まあでも、本質的なところが変わるわけではなく、むしろ余計に苦しくなる部分も出てきます。人によるとは思いますが。
もちろん、改良できたこともありますし、そのたびに軌道修正しながら生きてきました。
「考えるんが好きやね」
と言われることがたまにあります。
しかし、
「ううん・・・考えないと生きづらいねん」
というのが本当のところです。
自然体に近い状態であろうともがいて生きて、それがある種「生きる」いうことなんかもしれませんね。
ただ、人よりはかなりセンシティブなわれわれ。
たぶんみんな、
それぞれの表現に携わっているとき、真人間もしくは自然体に近い感じでいられるんじゃないでしょうか。
描く、
奏でる、
演じる、
作る、
叫ぶ、
それぞれの分野で。
あまりこれそのものに向き合っていても、特に何も生まれません。
で、HSP。
これを
八田スペシャル(HSP)
と名付けてやることにしました(笑)
さて・・・
そろそろ執事が温かいコーヒーを淹れてくれる時間なので、私も創作に着手します。
ほんまはUCCのコーヒーを自分で淹れてんねん。
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