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駅のホームにて。

もうぼくもいいトシだから、いろいろな局面を経て生きて来たつもりです。

そこそこいろんな立ち回りができるようになってる・・・つもりでいます。けれどまだまだだなあと感じることもありますね。大いにある。不測の事態、うろたえ、冷静に行動できない自分に気付かされることがたまにあります。

数年前のことです。

ある夜、ぼくはとある駅に降りました。3両ほどのローカルの単線で、週末のその駅に降りようとする乗客は6~70人といったところ。サラリーマン、大学生、部活帰りの高校生と雑多な面々。ぼくは電車が止まるなり先頭車両からホームに降り立ち、改札の方へ向う。

電車から改札まで5mほどあって、その中間あたりに差し掛かった時でした。背後でドサッという音がした。ビニール袋のこすれる音、靴音、誰かが空き缶をゴミ箱へ入れる音、そんな日常の音と違って、聞き流せる種類の物音ではなかった。思わず振り返らずにはいられない、妙な胸騒ぎを覚えさせる音でした。

振り向くと、それは異様な光景。ぼくと電車までの間にいる人々が一様に振り返っている。ぼくはなにが起きたか確かめようと、自分に距離の近い人の視線を辿り、ぼくに距離の近い人たちは、さらに自分に近い距離にいる人の視線を辿ってその音の原因を見極めようとしている。そして、最終的にたどり着いた視線の先には、先頭車両の鼻っつらとホームの間を見降ろす数人の人だった。その間にもぞろぞろと人々が降車し、この奇妙な状況に気付いて立ち止まる人が増えて行く。

何を見ているのだろう。

ぼくは2~3歩後戻りし、わずかに覗き見えるホームの下のレールを、目線だけで見降ろしました。

そこに、人がうつ伏せに倒れている。

その人が転落した音だったわけです。ぼくはすぐに視線を外して周りを見渡したので、きちんと倒れている人の様子を捉えていないが、たぶん微動だにしていなかったと思う。恐らく大人の男性。

ぼくがなぜ周りを見渡したかと言うと、それは状況を把握して、自分がやるべきことがないかと思ったからでした。一瞬の間にめまぐるしく思いが駆け巡りますが、しかしその前に感じたことは、不測の事態に出くわした時、人は一言の声も出せないということでした。ぼくも含めて皆さん、「あっ」とも「うっ」とも出せない。よく映画やドラマで、街なかで人が殺されたり、銃声が鳴ったりして周囲が悲鳴をあげるシーンがあるが、実際の場面にはこの無言、静観、沈黙なんだろうと思いました。ただただ声にならない静寂のみが流れる。

それはともかく、ぼくが唯一できることと考えたのは、ここで大声をあげて駅舎へこの状況を伝えることでした。なにせ、ぼくらは誰ひとりとして声が出せない。その場にいた人には理解してもらえると思うが、「大丈夫ですか」などとという呼びかけすらも、なんか意味がない感じに思えました。

ところが良く見ると、先頭車両の窓ガラスに、無線機に向って慌ただしく何事かを話す車掌さんの姿が見える。つまり、駅舎には事態が伝わっているということ。後はこの状況に相応しい適切な処置が行われる。ということは、ぼくにできることは特に何もなさそう。降車した人々も、立ち止まって事態を見守る人、振り返りながらもゆっくり改札へ向う人、さまざま。皆、ぼくと同じように、自分たちにできることはなさそうだと判断したのようです。冷え固まった空気が、少し和らいでいくのを感じました。

やっと誰かの声が。ぼくのすぐ横で、部活の鞄を抱えた女子高生たちが心配そうに言葉を交わし始める。

「ええ・・・なに・・・これ・・・大丈夫やろか・・・」

「生きてるんかな・・・」

静かに興奮しながら何言か話し始めたけれど、噛みあわない独りごとを交互に言う感じ。高校生のこの子たちも、この子たちなりに何ができるわけでもないとは知りつつも、その場からさっさと離れることができないの様子です。

声を出している人は彼女たちだけ。大人はただ、見守る以外に何もできず、軽はずみな感想も言えないでいたし、前向きに何かを言って場を仕切るわけにもいかなかった。ただ、この場の誰ひとりとして野次馬根性やあさましい好奇心を持つ人間はいないのは確かで、それどころでもなかったです。それは明らかに。

ぼくはゆっくりとその場から離れて改札をくぐっていったんですが、その後、倒れていた人がどうなったのかは分からない。翌日の新聞も目を通してみたが、記事にはなっていなかった。酔っぱらって転落したのか、あるいは持病か何かの発作で足を滑らせたのかもしれない。いずれにせよ、事故。誰かに突き落とされた、というような事件ではないと思う。重くとも骨折程度の怪我で、現在はぴんぴんしていることを心から願う。・・・しかできなかった。

しかしぼくは改札をくぐった後、ひとりで歩きながらたった一つ、ぼくにできたことはあったと思い、すごく後悔しました。しばらくひきずるほど。それは、さっき独りごとの様な手探りの言葉で声を出しあっていた高校生たちを、安心させてあげることでした。大人として、それはしたほうがよかったんじゃないかって。

「車掌さんも無線で連絡してるみたいだし、救急車ももうすぐ来る。ぼくらに出来ることはもうなさそうだ。だから安心して。早く家に帰ろう」例えばこんなふうに。

せめてそれぐらいの言葉はかけるべきだったよな。

そういうことを考えてしまう夜でした。

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