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アーティストあるある、早く言いたい。

アーティストあるあるのひとつかもしれない。ちょっと怖いの苦手、という人はスルーを。

絵画教室でのこと。生徒たちがそれぞれの絵に取り組んでいる時、ぼくはでっかいイーゼルに向って下絵ともスケッチともつかないラクガキを描いていることが多い。ぼーっとした状態で、なんのてらいもなく手を動かす。こんな状況で描いた原案が大作につながっていくことがほとんどだ。

今日もそんなふうに無意識にまかせてラクガキを楽しんでいた。突然、小学2年生のはーちゃんが言う。

「玄関に人影見えた」と。

今日は生徒はこれ以上来ない。玄関からの入り口すぐ横で絵を描いていた彼女が見たのは、女性の人影。猫と一緒に見たと。はーちゃん曰はく、教室に来てからのこれまでずっと言うのを我慢して来たけれど、夏のように暑いこの日、アトリエの扉を開けていたため、いつも以上に気配を感じ、見たという。

さて、ぼくのでっかいイーゼルは生徒たちの机と相対する形で置いてあり、ラクガキを描いているぼくはちょいと首を傾けると生徒たちと目が合う。つまり、ぼくの手元は隠れていて彼らには見えない状態。そしてその日、ぼくが描いていたラクガキはなんと・・・

女性と猫なのだった。猫を愛おし気に抱く女性の横顔。

そして、生徒は皆帰った今、ぼくはひとりここでPCに向ってこのブログを書いている。時々後ろを振り向きながら…。

こういうことは芸術家あるあるなのだ。しょっちゅうある。作品が何かとシンクロしてしまうといったことが。そもそも、目には見えない中空に意識を伸ばし、何かにアタックして手繰り寄せるというこの作業は、言葉では説明できない領域だ。今日初めて告白してくれたはーちゃんの「守護霊が見える」という言葉に嘘はない。妙な冗談は言わない子だ。これまで言わずにきたのも、ぼくを気遣ってのことなのだろう。

ぼくはずっと女性の作品をつくってきたがこの数カ月、それまであまり好きではなかった猫を、どういうわけかよく描くようになった。それも写真などは見ずに、頭の、いや厳密には脳のなかの秘密の小部屋のような場所からイメージを取り出してくる。描き終わるまでどんな絵になるかわからないスケッチを描き、切り絵にしていく。

まるでぼくはぼく自身を天才であるかのような言い分だけれど、本当にどの完成作品もそうなのだ。スケッチ、あるいはラクガキたちはどれも、紙に向って鉛筆を立てた時点ではなんの思惑もなく、まるで眉間のちょっと上あたりから出したアンテナで交信するかのようにして線を描いていき、見えない細い糸を手繰り寄せていくようにして現実世界に呼び出していく感じだ。ネガもポジもなく、浮遊する何かをすくいとる。

だからほとんど自分の意思と関係ない「何か」と協力し合う。今日のようなことがあっても不思議ではない。また別のエピソードも投稿します。

さて、もう一度言うが・・・みんな帰って一人きりです。ちょっぴりきょわい。

いずれ今日のラクガキは切り絵作品として完成させ、みなさん前で披露する時が来ると思います。お楽しみに!

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