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作品完成は恋愛成就と似ている。

作品を目の前にして話すとき、うんざりする質問がいくつかある。そのひとつが、
「切り絵つくるのに、時間どれくらいかかっているのですか?」
という質問。いくつかの話の積み重ねの中で出てくるのは当然だけれど、開口一番にする人がいる。うんざりする。ちゃんと答える、いや理解してもらうには最低限作品について知っておかないといけないことがいくつもあるからだ。

これまで何百回とたずねられてきた。またか…とぼくはいつも思う。正直「それを聞いてどうするの」と思うのだ。本当に知りたいことなのだろうかと。

一見、好奇心から口を突いて出る質問のように見える。しかし歴然としているのは、この質問をした人で作品を買ってくれた人は1人もいないということ。要は「何が描かれているのか」とか「どういう思いでつくったのか」という謎解き、自分の考えや人生に置き換えて中身をさぐる、といった知的なゲームを最初から放棄しているのだと思う。

たとえば映画「アバター」を観た人がジェームズ・キャメロン監督に「これ、撮影するのにどれくらいの時間かかったんですか」とまず始めに聞く人はいないだろう。それよりは「どうやって?」という技術面か、「なぜ?」という物語の視点などに目がいくはずである。はなからそこへの理解が乏しい人がする質問といえる。

「切り絵つくるのに、時間どれくらいかかっているのですか?」

この質問をする人がこの長い文章を読んで下さる人々とは到底思えないが、一応書いておく。
切り絵作品を作る工程をざっと記すとこうなる。
①スケッチ
②スケッチをもとに絵を深めて下絵を描いていく
③その絵を黒い紙の上に置きナイフで切り抜いていく
④黒い切り絵の裏側から色の紙を貼り付けていく
それぞれの工程は、思案する時間を要する場合もあれば、何も考えずさくさく手が動く場合もある。作品の質やサイズによって異なる。季節によっても変わる。気分の問題といえる。

Aという作品の③をやっている最中に行き詰ると、Bという作品の②に取り掛かる場合もある。更にそれらをしながらCという作品の発想が生まれて、Cのための①がスタートする。多くの芸術家がそうであるように、いろいろなアイデアを日々の中で同時進行ですすめていくものだ。

つまり正式な時間など算出できない。仮にAのスタート①から④に行き着くまでに3ヶ月かかったとしても、正味の時間を合算すると90時間かもしれないし500時間かもしれない。いずれにせよ、時間の記録を取りながらつくるものではない。また、時間という概念や束縛に捉われたくないという想いから芸術作品に向う場合もあるので、その把握そのものがナンセンスなのだ。

この質問を、開口一番にされたときに相手に感じるもやもやした気持ちをいつもうまく言葉にできずにいる。

ぼくにとって作品の完成は恋愛の成就に似ている。一人の女性に「愛している」と言って「お付き合いしましょう」と応えてもらえたとする。この男女にいちいち「付き合うのにどれくらいかかったか」を聞くくらい野暮なことはない。出会って次の日に愛を確認し合うこともあれば、知り合って10年で交際する人もいる。それで愛の密度などはかれるわけがない。交際から結婚までの期間についても同じことが言える。

「切り絵つくるのに、時間どれくらいかかっているのですか?」

それはしいて言えば、それが完成した時の「年齢ぶん」ではなかろうか。

生まれてからずっとわれわれ芸術家たちは、ありとあらゆる素材や養分をストックし続けている。「運命の人」と出会うために人生がスタートしているとするならばわれわれの作品完成も、「Aという作品をつくるために」「Bという作品をつくるために」生まれてきたと言えるのかもしれない。
幼少期の記憶からアイデアが生まれるかもしれないし、一昨日見た風景が1週間後に作品を完成させるかもしれない。一昨日見た風景は、あの日あの場所で生まれてこなかったら出会えなかったものかもしれない。

こんなふうに書いているぼくは「作業工程の時間」として作品制作をあてはめられることが嫌なのだろう。単純計算で換算されると腹が立つ。

よく「この作品がこの値段!?(安いという意味) もっと高くしないと。だって時間もかかってるんでしょう」と言ってくださる人がいる。しかし余計なお世話である。時給をもらって働いているわけではない。たとえ1000時間かけた作品があって、それがしんどいかどうか、あなたに何の関係があるんだ、と思う。経費の算出は大事だが、しんどさと作品の値は関係ない。作品をつくることが自分の人生に無い人の想像でしかないのだ。その人がその作業をする自分を想像したらきっとそれは苦痛になり、「時間をお金に換えてもらわなきゃ割り合わない!」と考えているだけなので全くこちらの参考にならない話であり、一切無視している。良かれと思って言ってくださってることとは思うが、決して芯からこちらを想って言っているわけではない。そんな理屈は「おまえにいくら金つぎ込んだと思ってるんだ!」と言って女性に逆切れするストーカー男と同じだ。作品が完成するタイミングというものは、相手が振り向いてくれる瞬間にやはり似ている。

作業時間が1000時間でも良くない作品は良くないし、1時間でできた作品でも良いものは良い。それだけだ。

作品の物語性など理解を深めたうえでの単純な興味として、時間がどれくらいかかったか、と尋ねられるのは大歓迎である。個別の作品に向けて。しかし、最初から「アートは私にはわからない、何を話して良いかわからない」とさじを投げてとりあえず聞いておこうか、という感覚でこの質問をどうかしないでほしい。答えるこちらは誠実にあろうとするあまり、とても疲れる。100円払ってもらうことにしようかな。何度も言うが、彼らはこの文章を最後まで読んではいないとわかっている。

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