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アートは100年単位の大喜利である。

アーティストやアート作品の評価、というものについてお話します。

われわれが後ろを振り返ると、なんとなくぼや~っと過去の芸術家の存在のいくつかが浮かび上がります。

生きている間に1枚しか売れなかったゴッホ、
活動中にずっと売れっ子だったピカソ、
またはいっさい歴史に名を残していない画家・・・

どんなジャンルの歴史もそうですが、現在の物差しと研究家の伝承でしかその存在を確認することはできません。
活躍していた当時、批判されていた画家であってもいまは高値がついていたり、そもそも名前が残っている時点ですごいことです。
また、「いっさい名を残していない画家」たちが当時も無名だったとは限らず、めちゃくちゃ売れっ子だった人もいるでしょうし、いま名前が残っていないのは、現代人が今の物差しで語る「アートの体系」にさほど貢献していなかった、というにすぎません。
ぼくらが知る以上にアートで生活をしていた人、活躍した人の数は多かったのは想像がつきます。

この流れからすると、アーティストを評価するのはその人が亡くなって何十年、いや100年も経った後、当時の世相や同時期に活躍した他のアーティストがどんなことをしていたか、などの比較する要素が必要になることがわかります。

つまり、今現在生きている人間が、今現在生きているアーティストに正当な評価を下すのは不可能なんです。

プレイヤーが上から地上を見下ろすタイプのRPGよろしく、全体像が見えている状態になって初めて、そのキャラクターの置かれている場所の正確な見極めができるように。

その年、最も面白い漫才師を決めるにしても、横並びのルールに乗っけて(活動歴やら何やら整えて)比較しないと決定できないわけで、アーティストの評価を第三者がするのは、いわば3時間の生放送ではなく100年単位のM-1グランプリをやっているようなものです。

もちろん、各個人が「好き・きらい」などの主観の感想を持つことは自由です。でもそれを「アートとしてどうたらこうたら」などとリアタイで語りきるのは不可能です。言うのはタダなので何を言ってもいいのですが、あくまでそれも主観を前提にしているということは理解しておいたほうがいい。

ではぼくたちアーティストは、どうモチベーションを持っているべきなのか。

ただただ自分の信ずるものをやり続けるしかないわけです。少なくとも生きている間に結果発表もない、結果発表に見えるそれもまやかしにほとんど違わないもので、その真贋はさておき、自分で信じる以外にないのです。

ぼくはぼくのすることを信じています。

ぼくは切り絵を作っています。
しかし一般的な「切り絵」にあるような、細かさや日本特有の風景や建物の情感を追求して描いた切り絵とは違います。(昔テレビでよくあった、なにも見ずに駅名を何百個も言える天才少年のように、それはアートとは呼べません)

技術を披露するためのそれらとは一線を画しています。

また、「みんなを笑顔にしたい」と謳って、まるで孫のためにおじいちゃんが竹とんぼを作ってみせるような細工とも違います。(お笑いでいうところの「担任のモノマネ」「先輩がよく言うセリフ」で笑いを取る手法ですね)

ぼくは現代アートという視点に切り絵を持ち込んだ、新しい世界を目指しています。

美術のオークションにおける「耐久性の高い油絵は高値」に反旗をひるがえしてその材料は紙、そうかと思えば美術史における「動物画は価値が低い」ということに則って人物画をメインにしていたり、あらゆる要素においてぼくは美術史を使って大喜利を楽しんでいるのです。

ぼくの切り絵をよく見るとわかるのですが、そこに描かれているモチーフはどれも稚拙なものばかりです。描きこみの多い作品が目立つので、一見とても手の込んだ、複雑怪奇なアートに思われるかもしれません。しかし、描かれているのは花であったり、鳥や羽根だったり、こどものころから誰もが一度は描いたことがあるようなお絵描きの延長線上にあるものばかり。それをあたかもデザインのように見せているだけです。これらはかつて、「技術の向上」を目指して躍起になってデッサンの修練に励んでいた自分自身を自らネタにしているものです。自虐ネタです。「いつまで練習してんねん」という過去の自分に向けたツッコミのようなものです。

ぼくが、いくら作品をつくってもつくっても飽き足りないのは、「美しいものを創造する」や「誰かを喜ばせる」の前に、こうした心の大喜利を心底楽しんでいるからだと思います。

100年後のひ孫世代の人々が、「壮大な大喜利ダンス」を楽しんだアーティストの一人として歓迎してくれることを祈っています。

最後に100年後の壮大な大喜利の答え合わせのために、ぼくのアート持論を付記しておきます。

●アートは貧乏くさいものにあらず(材料の安い高いではない)
●アートは半径数メートルの内輪ウケの小細工にあらず
●アートは自らの技術を披露するものにあらず
●アートは作者お手製のラブドールにあらず(自分一人で悦に入るべきでない)
●アートは作者の人間性を肯定した上で作者より崇高なもの
●アートは作者の子にあらず
●アートは即効性のあるものと遅効性のものがある
●アートは常に論議の的にあるべき
●アートは崇高かつ時には見下ろしてもいい手軽なもの



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