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循環していくモナリザの水のように。

ひとりあたり約二秒。

これは1974年、
日本で公開された
「モナリザ」
を見るために並んだ150万人の人々に与えられた鑑賞時間だ。

「モナリザ」という絵画が誰をモデルに描いたか、という美術界最大のテーマはさておき、Hachiの切り絵は、いやHachiという芸術家はダ・ヴィンチというひとりの男によく似ていると思う。童貞性などあらゆる点において。

Hachiの描く切り絵は、ひとつにつながっている。

また、極力直線を排除し、画面の向きを変えることも控えながら手首の可動限界までナイフをくねらしながら描く曲線は、そこにひとつの哲学を目指すからだ。

「モナリザ」の背後に描かれた水の循環がそれによく似ている。

彼女の背後にある水の流れは、ダ・ヴィンチが抱いていた思想を象徴する。

永遠の循環。

そしてそこに沸き立つ蒸気。

蒸気はまた大河へ還り、循環というループの一員に紛れ込む。
われわれと宇宙の間に横たわる壮大な歴史は、見事に時間というものを越えて一枚の絵画を共有していて、その事実こそがダ・ヴィンチの思想を浮き彫りにしている。

Hachiの描く切り絵は、ひとつにつながっている。

子どもの頃、どういうわけかずっと確信していたことがある。

「ぼくの身体のなかに、小さな宇宙がある」と。
その宇宙は、いま自分の立つ地球と同じような星を包み込み、同じように近所のおばちゃんや同じように近所の嫌な上級生やその他大勢を所有している、と。自分でも当時はまったく馬鹿げていると思っていて誰にも口にしなかったけれど、なぜか確信・・・いや知っていたんだ。

芸術を創作し、大人になってダ・ヴィンチという一人の人のことを学ぶようになると、彼もその思想を持つことを知った。恐らく真実なんだと思う。

なぜ切り絵を選んだのですか?

この質問を個展会場で数分で答えるのはとても容易ではない。
少なくともここまで書いた文章量を要するし、これでもかなり端折って表現している。

たとえば海を越えた外の国と日本で、とても似通った要素を持つ言葉があるように、タバコが各地で似たような形で誕生したように、弦楽器がそれぞれの民族がそれぞれに異なり似た形で生み出したように、隔絶できない糸でわれわれはつながっている。

それはやはり循環というものに属すると思うのだ。

つまり川の始まり、それは海の果てだ。

小学生だった頃のぼくの日常だった川は世界へ伸びているとも言えるし、世界の末端が片田舎のぼくに手を差し出しているとも言える。

この世界のはじまりと無限に続く荒野へ。

ぼくはこの循環と言う名のつながりを今日も切り絵にして描く。



ちなみに写真は、2017年、クロ・リュセ城で開催されたフェスで展示したHachi作品。
クロ・リュセ城というお城は、レオナルド・ダ・ヴィンチが最後の3年を過ごしたフランスのお城です。
ダ・ヴィンチ没後500年を祝うお祭りにて。

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