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AHOCHAUKA。

SNSの投稿を見ていると、時々ため息をつきたくなるようなものに出くわします。

たとえば、
「定規を使わずにカッターで真っすぐ紙が切れます」
という10秒ほどの動画を切り絵作家さんが上げていました。

ぼくは思わずつぶやく。
「だからなんやねん…」

何名か似たような動画を上げている人を見かけましたが、動画を上げる方もそれを見てGoodするほうもどうかしている。
ぼくに言わせれば、人より大きな股間を出して見せて「おれ、女の子にモテるんです」と言っているくらい意味不明で恥ずかしい行為です。この場合で言うと「モテてる」という事実さえあれば人に周知してもらう必要のないことです。

定規使わずに真っすぐ切れたから、なんだというのか。
直線に切りたかったら定規を使えば可能です。使わないことと使うことになんの差があるというのか。
その技術を用いて、何を作るのか、いや何をつくりたいのか。
それが最も重要なことであり、そのためにどのような武器が必要なのか、または不要なのか。
シンプルにそれこそが主題。

要は「良い作品が出来るのか」「自分の思う作品が発表できるのか」がすべて。
曲芸にも値しない行為を、いっときのツールに乗せて注目を浴びたところで、全アーティストを代表して価値を落としているに過ぎない。

ちなみにぼくも「定規を使わずに」カッターナイフで紙を切ってみた。
目をつむってできた。やってみたことも、やろうと思ったこともない行為でした。

しかしそれが何になるのか。

スポーツで言うところのリフティングや筋トレなどは、確かに回数や技術を人に見せて驚かせるにはちょうどいいパフォーマンスです。しかし、そんなものはあなたじゃなくても出来ることです。

ぼくは思うんです。
SNSというものの存在が、ある部分でわれわれアーティストに良くない影響を与えていると。PRには重宝すべきツールでありながら、いいねの数やリプに振り回されざるを得なくなっている。
かくいうぼくも、そういう点でずいぶんと試行錯誤を強いられてきました。
X、インスタ、YouTube、それぞれのアカウントの過去を掘り起こせば、現在の自分では考えられないキャラで、内容で投稿していたりします。

ぼく自身も正解がわからなくなり、自分の体幹を見失うこともしばしば。

ただ、作品はまじりっけなしで勝負していたい。そして技術や想いはすべて、そこへ集約するための部品であることは忘れずにいようと思います。

技術のすごさを見せつけないと、わかってもらえないような作品であってはならないと。常にぼくらは迷って試行錯誤し、戦っています。

冒頭で述べた動画の主も、こんな時代における、もちろん戦友。でもやっぱり思います、AHOCHAUKAとは。

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